うずら話 - ヒメウズラの生活

と鳥に関する雑学、たまに旅のエピソードやレトロな話などのんびりと

雑記 もう9年も経った

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あの大きな地震の日からもう9年も過ぎたんですね。改めて、震災や津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、かけがえのないご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々にお悔やみ申し上げます。

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信じられない数の方々が災害で亡くなられ、いまだ生活に不自由のある方々もいらっしゃって、被害の甚大さを改めて思い知らされます。
自分は幸運なことに被災はしませんでしたが、当時首都圏に住んでおり大きな揺れ(余震含め)とその後の生活への影響を体験しました。日記やブログなど書いていませんでしたので詳細が曖昧な所もあるのですが、ブログを始めたこの機に思いだせる事を書き留めておこうと思います。

2011.03.11 (金)

その日は午後半休を取って、職場から自宅方面にある病院に向かった。(この何日か前、古本屋にて謎の発作で倒れ救急車で運ばれた時の料金清算に行った)14:00ごろには帰宅し、何か食べたり翌日の引っ越し荷物の最終チェック等をしていた。殆どのものは梱包し終わっていて、後は明朝に布団、観賞魚(小さいのが二匹)の水槽を荷造りするだけ。引っ越しといっても同区内で二駅ほどなので、荷物は引っ越し屋さんにお願いし、魚はビニール袋に入れて自転車で一緒に新居に行く予定である。

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こんなやつ
何もないキッチンに立っていたら、大きくグラッときた。おっ、と思ったが東京では珍しくない程度かなぁ、大体すぐ収まるし...と思っていたら揺れは収まらない、どころか大きくうねり始め、冷蔵庫の上に置いていた炊飯器が転がり落ちた。『うお、ヤバイ!』冷蔵庫もグラつき倒れそうな気がしたので両手で抑えているが、それ以上の事は何もできない。ハッと気づくと水槽の水が見る見るうちに大きくうねり、バッシャーン!バッシャーン!と大波になってフローリングにぶちまけられている。『...魚もうだめかな』と思い、永久に終わらないんじゃないかと思う揺れに『今日が最期かも...』と思い、冷蔵庫にしがみついてじっとしていたら、強烈な揺れは30~40秒?(一分は無かったと思う...)で次第に小さくなり、完全に収まるまでは二分間くらいだったかと。とりあえず溢れた水を何とかしないといけないので、荷物からバスタオルか何かを引っ張り出して拭いたと思う。(マンション内も外も騒ぎになってる様子はない、首都圏では『遠くない未来に直下型東京大震災が必ず来る、と思っとけ』という謎の諦念みたいなものが共有されてるような気がします。)魚は水槽に少しだけ残った水の中で無事でした、良かった。
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こんなやつ
ともかく何が起きてるのか知りたいので、抜いた配線をつなぎテレビをつけニュース速報を見る。すごい地震が起きた事、震源地はどの辺りか、等がアナウンスされている。震源じゃないのにあの揺れ方って...と思っていたら場面が切り替わり、アナウンサーが差し迫った声で中継をしていて、畑を洪水?の波がすごい速さで覆っていっている、道路にいる車もどんどん飲み込まれている『何?これ』と呆然とした。大津波と知って血の気が引いた。
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その後は、大きい余震とテレビや携帯から出る警報音にドキッとしながらも自分の部屋にいた。電話は回線パンクでつながらないとの事で、上司に生存確認メールをしてみるとすぐ『こちらは大丈夫です、うずら話さんも無事で良かった、半休でツイてましたよ、皆どうやって帰宅するか考えています』とレスが来た。後で聞いたら、上司は千代田区某所から千葉の自宅まで何時間か歩いて帰ったそうです、同僚には会社泊した人もいました。職場は約30F建てのビルの18Fにあったので、地震の最中は荒海の船に乗っているようにぐわんぐわん揺れ、地震が収まってもビルは延々とゆあんゆあん揺れ続け酔う人続出だったそうです。(ポキッと折れずちゃんと耐震構造できてるって事ですかね)
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電車からタクシーまですべての交通機関が機能しない状態なので、たまたま家に帰っていなければ自分も会社泊になってました。電気も水道も普通に使え、ガスは引っ越しのためガステーブルを外して元栓も締めたので関係なし。冷蔵庫の中身は空で電源も外しているので、夕食は外食か買い食いになります。たしか夕方コンビニに寄って、ダメ元でファミレスに行ったと思います。コンビニの食べ物は品薄だった気はしますが、物が無い状態ではなかったです。ファミレスは混んでたものの、普通に食事が出来ました。こんな感じで、余震の揺れが怖いながらも無事に翌朝を迎えました。
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電車は全部止まりました

翌日以降

午前中に引っ越し業者さんを予約していますが、世の中は混乱状態だし、何の連絡もないし、電話しても繋がらないだろうしという事で期待せず待っていた所、時間通りに来る引っ越し業者の方。

うずら『まさか来ると思いませんでしたが、来ましたねぇ(驚)』
引っ越し業者の方当たり前じゃないすか!!✨』

力強く即答されました。感動しました、やっぱすげ~な日本人は、というか危険なのにいいの?荷物を担いで階段を昇り降りしている最中も余震が来て、下手すると大怪我にもつながりかねない状況でした。
地震くらいで寝てられっかよ的な江戸っ子スピリットなのか、ただのブラック企業なのかわかりませんが、個人的には前者の心意気を感じました。

引っ越し完了して、近所のスーパーなど確認しに行く、昨日はまだ少しは物があったであろう棚はスッカスカでした。火を使わず食べられる系のものは勿論キレイになくなって、米など穀物もなかったですね。普通にあるのは調味料くらいじゃなかったかと。その後どうやって生活していたのかな...あまり記憶にありません。
新居に移ってからも余震は続き、思わず『もうやめてくれ~!』と口をついて出るレベルの揺れは半年くらい続いたと思います。最終的には一年くらい余震続いたのかな...図太い私でも当時は少しトラウマになりました。引っ越し後何日かして、田舎の友人からカップ麺などの支援物資が送られて来て『ありがとう、でも被災してないからもう送らなくていいよ、食べ物普通に買えるよ』と返事を出したりしました。放射能についてもニュースで騒がれてましたが、自分の周りの人でどこか遠くに避難したという話はありませんでした。通ってたドイツ語教室が速攻でクローズ→再開時期不明、と宣言した事に驚きました。(自分の諦念病のせいですかね?(^^;)ドイツ人と中国人が真っ先に日本から出国したと噂で聞きました。

記憶にあるのは大体こんなものでしょうか....後はこの未曾有の大災害によって『人間、ほんとうに次の瞬間どうなっているかわからない』と思い知った友人や同僚の中から、仕事や何か人生の進路を思い切って変更する人が出ました。私もやりたい事はできるだけ早く、やれるうちにやっとけ、と強く思うようになりました。ポジティブシンキングとかではないんですが、自分の時間は有限だという当たり前の事を実感させられたと思います。

はじめて文字にしましたが、まだ何か思い出せる事があるような気がします。思いだしたら都度追記していこうと思います。

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