うずら話 - ヒメウズラの生活

と鳥に関する雑学、たまに旅のエピソードやレトロな話などのんびりと

[周遊Ⅰ Part5] ポーランド オシフェンチム (アウシュビッツ) Ⅱ

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前回はビルケナウまで見学しました、次はアウシュビッツです。
uzurabanashi.hatenablog.com
※写真多めです。後半文字多めです。

ビルケナウの死の門の下から再び無料バスに乗り込みアウシュビッツに戻ってきました。

アウシュビッツ収容所跡
アウシュビッツ収容所跡へ戻ってきました
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事務所等が入っている建物
アウシュビッツ収容所への入口
アウシュビッツ収容所の入口 これから内部を見学します
スローガン Arbeit macht frei
入口のアーチについているスローガン Arbeit macht frei「働けば自由になる」
このBの字が逆さになっているように見えるので、このアーチを作った収容者のささやかな抵抗の表現であるとか、単純に取り付けミスだとか、元々こういう字体のものだ、とか諸説あるようです。
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フェンスに花が捧げられています
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ものものしい鉄条網でぐるりと囲われています
アウシュビッツ収容所内部 建物
こういうレンガ造りの建物が沢山あります 収容所棟と軍の宿舎棟があります
各建物は自由に入って見学出来る所もありますが、ガイドさんと一緒でないと入れない建物や重要なエリアが結構あるのでツアー参加推奨です。
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味気ない建物が並んでいます
アウシュビッツ収容所跡の建物
この左側の建物のように扉が開いている所は自由に入れますが、
鍵が閉まっている所もあります
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見学者が入っていきます
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この建物の最初の展示は、人々が欧州全土のどこから
この収容所に送られてきたか、の図です
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図を前に説明するガイドさん
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収容所に連行される人々の写真です
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子供たちも連れてこられました
移送される人々が持っていた荷物は没収され、収容所に到着するとすぐ着ている衣服や所持品も全て没収。まず目視による年齢、性別、健康状態チェックで、収容される列とそのままガス室に行く列に分けられたという話もあるようです。
没収された物品は集められて種類ごとに仕分けされ、貴金属や高級品等は幹部などが持ち去る事もあったようです。
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ガス室で使用されたとされる毒ガス、ツィクロンBの空缶の山
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収容者の所持品の山 食器などの日用品のようです
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収容者の所持品 おもちゃの人形もあります
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収容者のはいていた靴の山 おしゃれな女性用の靴もあります
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靴の山と、歯ブラシなどの日用品の山
この他、撮影禁止に指定された展示に『収容者(主に女性)の髪の毛の山』があり、おさげに結われた長い髪を根元からカットしたそのままの状態のものや、様々な色の髪の毛が部屋いっぱいに積まれていました。織物等の素材に使用されたという話ですが、人間の髪の毛はかつら位にしか使えないんじゃないでしょうか...。
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収容者のポートレート
縦縞の収容服が特徴的です
囚人服は横縞のイメージですが、縦縞になるとまずはアウシュビッツを連想せざるを得ませんね。この収容服を面白半分にファッションやコスプレに使うなどは、まともな常識があれば出来るはずがありません。
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番号を体に刺青された人達
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収容者の種別を表すマークです
この逆▽などのバッジを収容服に縫い付けられます
緑の逆▽は犯罪者、赤の逆▽は政治犯、など分類されたそうです。
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収容着を展示してあります
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栄養不足で痩せてしまった収容者の女性の写真
アウシュビッツ収容者の食事
収容者が与えられた一日の食事
泥水のようなスープだったそう
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収容者のポートレート
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銃殺場に建てられた慰霊碑
沢山の花やキャンドルが供えられています
撮影可能な展示はこの位で、この他写真のない展示には収容者のいた監房‣拷問室‣(人体)実験室など気が滅入りそうな場所から、SS(ナチス親衛隊)の居室などがありました。
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建物の外に出ると開放感が大きいです
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焼却場の建物、亡くなった大勢の方々を流れ作業で火葬したそうです
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どんよりした空 日が落ちてきています
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ツアー終了 もう少しで日が落ちます
これでガイドツアーは終了、最後に土産物ショップに誘導され少し中を見たりしている内に閉館時間になったようで、
『博物館エントランスはもう施錠したから、脇の金網のとこからさっさと出ろオマイラ』
的な感じで急かされて退出する、この時点で17:30くらいだったと思います。あ~疲れた...さてどうやって駅まで...バスまだあるのかな、確かもうなかったような...。などとぐだぐだ考えていたが、そのへんに居た他の観光客らはレンタカーや待たせておいたタクシーなどにババーッと乗り込んであっという間に居なくなってしまい、一人ぽつねんとアウシュビッツに佇む。

とりあえずバス停に行ってみるが時刻表示とか特になし、雰囲気的にもう次のバスはなさげ。まあ駅の方向はわかってるんで、歩いて行けばいつかは着くさ。とりあえず...疲れた...一日動き続け&緊張でかなりくたくただ、足も痛い、バス停のベンチで暫く一休みしてから歩き出そう、とぐったり座って放心。辺りは広大なアウシュビッツアスファルトの道路と民家がぽつぽつあるだけ、人っ子一人歩いていないどころか車も通らない、すっかり日も落ちて明かりは街灯だけ、気温もだいぶ下がってきたが疲労のせいか体が熱を持っていて寒くはない。

ぼえ~と座っているといつの間にか地元民っぽいおじさんが下り方面から近づいて来ていて、こちらをチラ見しつつ通り過ぎて行った。スポーツウェアっぽかったのでウォーキングでしょうか、こんな時間にバスの来ないバス停で東洋人が座り込んでいるのでそりゃ気になりますよね...すいません、もう少し休んだら消えますんで...。と思っていたら、おじさんが戻って来て何か話しかけてきました、当然ポーランド語なので全くわかりません、英語でレスポンスを試みるもおじさんは英語わからないらしい。とはいえこの状況とおじさんのゼスチャによって『ここに居てももうバスは来ないよ、駅に行くんだろ?駅はあっちだよ』的な事を言ってるのは想像に難くないです。ご親切に心配して色々言ってくださっているが、とりあえず疲労困憊∔共通語が無い=申し訳ないがほっといてほしい、という事でひたすら『OK、OK』連呼で去っていただこうと試みるも...

親切なおじさん『バンホフ?(Bahnhof:ドイツ語で『駅』)』
うずら話『...ヤ、ヤー』
親切なおじさん『バンホフ○×◇@&■%#』
うずら話『...ヤ、ヤー』
親切なおじさん『(グッ!と親指を立てて、よっしゃ行くぞ!カモンレツゴーのポーズ)』
うずら話『ジ、ジンクウィエン』(まじか~)

この時はまだドイツ語も不自由で、簡単な単語しか理解できず、結果、促されて重い足を引きづりおじさんと並んで駅へ向かって歩き出すことに。
おじさん、見た感じ60~70歳でしょうか、健康ウォーキングっぽくキビキビと歩を進めます。共通語が無いのでしばらく無言で黙々と並んで歩く二人...うーむ、名前くらい聞きたい、と思い再び英語で試みるも通じず...残念。また黙々と歩くうち、持っているガイドブックに簡単なポーランド語会話文が載っていた事を思い出し、歩きながらそのページを探し『私の名前は~です』『あなたの名前は?』の部分をカタカナのふりがな通りに読んでみるも...発音が全く違うようで玉砕、うーん厳しい。
もう直に本見てもらった方が早いじゃん、て事で薄暗い街灯の下で見てもらうも...暗いし、字小さいし、老眼だし、でおじさんお手上げポーズ、うーーん辛いな。結局自分を指差して『うずら話、ジャパン、ヤーパン』とか言って己が何者かだけは伝わった、おじさんも名前を言ってくれたが、情けない事に聞きとれず...そういえばポーランドの人名ってあまりなじみないしな。
そうやってゴニョゴニョやってる間に、私の服にくっついていた入場シールに書いてある『Auschwitz』の文字を指差して『これはドイツ語の名前だよ、ポーランドではオシフェンチムというんだよ』と言いました(たぶん)。後にこの話をドイツ人の知人(60代)にした所『ハッ!』と不愉快そうなリアクションをしましたので、地名についてポーランドとドイツの一般人それぞれに違う思いがあるようです。
そうやってズンズン歩くこと20分(体感は30分)くらいでしょうか、遠くに煌々と光る駅の明かり

親切なおじさん『あれが駅だよ』
うずら話『ジンクウィエン、プシェプラッシャム(ありがとう、すみません)』
親切なおじさん『(首を振ってなんのなんのゼスチャ)』

駅に入るとおじさん

『あれが時刻表、お前の乗る列車は○○時○○分に来るよ、あそこに時計があるだろ、あの針がこうなったら(自分の時計を見せつつ)...あぁ俺の時計は見づらいな、まああれを見とけ』
『切符売場はもう誰もいないから、乗ってから切符を買うんだよ、列車の乗り場はこっちだよ(ホームに入って)お前の列車は向こう側に来るから、あそこで待ってりゃ大丈夫』

もう孫に教えるかのごとく懇切丁寧に説明してくれ、なに言ってるか不思議とわかってしまうハートトゥハートコミュニケーション!(とか言って全然違ってたりして)
名前も住所も何もわからないが、せめて写真を撮らせてもらえないかカメラを見せると

親切なおじさん『写真?俺の?』

と言いつつ、帽子をとり髪の毛をぱぱっとなでつけ、スポーツウェアのジッパーをぐっと上げ、きりっと決めポーズ!
そして再びおじさんに『ジンクウィエン』とお礼を言うと、手を振りながら去っていきました。

ポーランドの恩人
名前もわからない大恩人本当にありがとうございました
きっといつもより遠回りのウォーキングだったんじゃないのかな、ありがたいやら申し訳ないやら...また会う事ができたらきちんとポーランド語でお礼を言いたいですね。
時刻表示板 19:13 クラクフ行きに 乗るぞ~!
オシフェンチム駅
待ち時間に改めてオシフェンチム駅をパチリ
クラクフ行き列車
ちゃんと来た~ 乗るぞ~!クラクフ行き!
そして時間通りに列車が来て、無事乗り込む事が出来ました。クラクフに到着するのは21:00ごろでしょうか、チェックインの予定時刻を大幅に遅れますが、それ以前にこんな夜中にちゃんとホテルにたどり着けるだろうか。
色々と不安要素はありつつも、とりあえず列車に乗っている間はしばしの休息です。

今回の私の場合は本当にたまたま運良く親切な人だったという事でして、
原則として海外で知らない人に声かけられても絶対についていかないで下さい。
それ以前に知らない海外で夜ぼっちになるような事態は避けてください。

そしてほのぼのしたのも束の間、ポーランドで宿無しの危機か?
次のスポットへGO! →Part6へ
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