前回はビルケナウまで見学しました、次はアウシュビッツです。
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※写真多めです。後半文字多めです。
ビルケナウの死の門の下から再び無料バスに乗り込みアウシュビッツに戻ってきました。このBの字が逆さになっているように見えるので、このアーチを作った収容者のささやかな抵抗の表現であるとか、単純に取り付けミスだとか、元々こういう字体のものだ、とか諸説あるようです。各建物は自由に入って見学出来る所もありますが、ガイドさんと一緒でないと入れない建物や重要なエリアが結構あるのでツアー参加推奨です。移送される人々が持っていた荷物は没収され、収容所に到着するとすぐ着ている衣服や所持品も全て没収。まず目視による年齢、性別、健康状態チェックで、収容される列とそのままガス室に行く列に分けられたという話もあるようです。
没収された物品は集められて種類ごとに仕分けされ、貴金属や高級品等は幹部などが持ち去る事もあったようです。この他、撮影禁止に指定された展示に『収容者(主に女性)の髪の毛の山』があり、おさげに結われた長い髪を根元からカットしたそのままの状態のものや、様々な色の髪の毛が部屋いっぱいに積まれていました。織物等の素材に使用されたという話ですが、人間の髪の毛はかつら位にしか使えないんじゃないでしょうか...。囚人服は横縞のイメージですが、縦縞になるとまずはアウシュビッツを連想せざるを得ませんね。この収容服を面白半分にファッションやコスプレに使うなどは、まともな常識があれば出来るはずがありません。緑の逆▽は犯罪者、赤の逆▽は政治犯、など分類されたそうです。撮影可能な展示はこの位で、この他写真のない展示には収容者のいた監房‣拷問室‣(人体)実験室など気が滅入りそうな場所から、SS(ナチス親衛隊)の居室などがありました。
『博物館エントランスはもう施錠したから、脇の金網のとこからさっさと出ろオマイラ』
的な感じで急かされて退出する、この時点で17:30くらいだったと思います。あ~疲れた...さてどうやって駅まで...バスまだあるのかな、確かもうなかったような...。などとぐだぐだ考えていたが、そのへんに居た他の観光客らはレンタカーや待たせておいたタクシーなどにババーッと乗り込んであっという間に居なくなってしまい、一人ぽつねんとアウシュビッツに佇む。
とりあえずバス停に行ってみるが時刻表示とか特になし、雰囲気的にもう次のバスはなさげ。まあ駅の方向はわかってるんで、歩いて行けばいつかは着くさ。とりあえず...疲れた...一日動き続け&緊張でかなりくたくただ、足も痛い、バス停のベンチで暫く一休みしてから歩き出そう、とぐったり座って放心。辺りは広大なアウシュビッツとアスファルトの道路と民家がぽつぽつあるだけ、人っ子一人歩いていないどころか車も通らない、すっかり日も落ちて明かりは街灯だけ、気温もだいぶ下がってきたが疲労のせいか体が熱を持っていて寒くはない。
ぼえ~と座っているといつの間にか地元民っぽいおじさんが下り方面から近づいて来ていて、こちらをチラ見しつつ通り過ぎて行った。スポーツウェアっぽかったのでウォーキングでしょうか、こんな時間にバスの来ないバス停で東洋人が座り込んでいるのでそりゃ気になりますよね...すいません、もう少し休んだら消えますんで...。と思っていたら、おじさんが戻って来て何か話しかけてきました、当然ポーランド語なので全くわかりません、英語でレスポンスを試みるもおじさんは英語わからないらしい。とはいえこの状況とおじさんのゼスチャによって『ここに居てももうバスは来ないよ、駅に行くんだろ?駅はあっちだよ』的な事を言ってるのは想像に難くないです。ご親切に心配して色々言ってくださっているが、とりあえず疲労困憊∔共通語が無い=申し訳ないがほっといてほしい、という事でひたすら『OK、OK』連呼で去っていただこうと試みるも...
親切なおじさん『バンホフ?(Bahnhof:ドイツ語で『駅』)』
うずら話『...ヤ、ヤー』
親切なおじさん『バンホフ○×◇@&■%#』
うずら話『...ヤ、ヤー』
親切なおじさん『(グッ!と親指を立てて、よっしゃ行くぞ!カモンレツゴーのポーズ)』
うずら話『ジ、ジンクウィエン』(まじか~)
この時はまだドイツ語も不自由で、簡単な単語しか理解できず、結果、促されて重い足を引きづりおじさんと並んで駅へ向かって歩き出すことに。
おじさん、見た感じ60~70歳でしょうか、健康ウォーキングっぽくキビキビと歩を進めます。共通語が無いのでしばらく無言で黙々と並んで歩く二人...うーむ、名前くらい聞きたい、と思い再び英語で試みるも通じず...残念。また黙々と歩くうち、持っているガイドブックに簡単なポーランド語会話文が載っていた事を思い出し、歩きながらそのページを探し『私の名前は~です』『あなたの名前は?』の部分をカタカナのふりがな通りに読んでみるも...発音が全く違うようで玉砕、うーん厳しい。
もう直に本見てもらった方が早いじゃん、て事で薄暗い街灯の下で見てもらうも...暗いし、字小さいし、老眼だし、でおじさんお手上げポーズ、うーーん辛いな。結局自分を指差して『うずら話、ジャパン、ヤーパン』とか言って己が何者かだけは伝わった、おじさんも名前を言ってくれたが、情けない事に聞きとれず...そういえばポーランドの人名ってあまりなじみないしな。
そうやってゴニョゴニョやってる間に、私の服にくっついていた入場シールに書いてある『Auschwitz』の文字を指差して『これはドイツ語の名前だよ、ポーランドではオシフェンチムというんだよ』と言いました(たぶん)。後にこの話をドイツ人の知人(60代)にした所『ハッ!』と不愉快そうなリアクションをしましたので、地名についてポーランドとドイツの一般人それぞれに違う思いがあるようです。
そうやってズンズン歩くこと20分(体感は30分)くらいでしょうか、遠くに煌々と光る駅の明かり
親切なおじさん『あれが駅だよ』
うずら話『ジンクウィエン、プシェプラッシャム(ありがとう、すみません)』
親切なおじさん『(首を振ってなんのなんのゼスチャ)』
駅に入るとおじさん
『あれが時刻表、お前の乗る列車は○○時○○分に来るよ、あそこに時計があるだろ、あの針がこうなったら(自分の時計を見せつつ)...あぁ俺の時計は見づらいな、まああれを見とけ』
『切符売場はもう誰もいないから、乗ってから切符を買うんだよ、列車の乗り場はこっちだよ(ホームに入って)お前の列車は向こう側に来るから、あそこで待ってりゃ大丈夫』
もう孫に教えるかのごとく懇切丁寧に説明してくれ、なに言ってるか不思議とわかってしまうハートトゥハートコミュニケーション!(とか言って全然違ってたりして)
名前も住所も何もわからないが、せめて写真を撮らせてもらえないかカメラを見せると
親切なおじさん『写真?俺の?』
と言いつつ、帽子をとり髪の毛をぱぱっとなでつけ、スポーツウェアのジッパーをぐっと上げ、きりっと決めポーズ!
そして再びおじさんに『ジンクウィエン』とお礼を言うと、手を振りながら去っていきました。きっといつもより遠回りのウォーキングだったんじゃないのかな、ありがたいやら申し訳ないやら...また会う事ができたらきちんとポーランド語でお礼を言いたいですね。そして時間通りに列車が来て、無事乗り込む事が出来ました。クラクフに到着するのは21:00ごろでしょうか、チェックインの予定時刻を大幅に遅れますが、それ以前にこんな夜中にちゃんとホテルにたどり着けるだろうか。
色々と不安要素はありつつも、とりあえず列車に乗っている間はしばしの休息です。
※今回の私の場合は本当にたまたま運良く親切な人だったという事でして、
原則として海外で知らない人に声かけられても絶対についていかないで下さい。
それ以前に知らない海外で夜ぼっちになるような事態は避けてください。
そしてほのぼのしたのも束の間、ポーランドで宿無しの危機か?
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